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うつが暴発した、その時。 [おもいの輪郭~うつ病を乗り越えるために~]

ボクの場合、あらゆる要因が積もり積もっていく、
その過程で徐々にうつ病がひどくなっていきました。

2年前の6月、雨の降る日。
仕事場に着いたボクの頭の中は、既に燃え尽きた灰のようでした。


本社の社長に直接電話をし「会社を辞めたい」と告げました。
あらゆる人から引き止めを受け、一度は考え直しました。
ただ、その日の夕方、社長から電話で言われた言葉に、改めて不信感を覚えました。
「たとえ離れて暮らしていても、親を幸せにすることはできる」
一方で、「お前は家族みたいなものだから、幸せになってもらいたい」。

この人とは何の思いも共有できないと、思いました。

この時、ボクにはこれだけの感情が蓄積されていました。

<個人的なもの>
・心の支えだった2人の叔父、祖母が次々と亡くなる悲しみ
・叔父が亡くなった際に目の当たりにした、叔母といとこたちの姿を、自分の家族に投影し過ぎた苦しみ
・地元で幸せに暮らしていると思っていた、高校時代の友人の原因不明の突然の死
・東京異動がほぼ確定し、このままでは地元で親と暮らすことは不可能なのだという確信

<仕事に関するもの>
・利益の出ない自社開発のプレッシャーと、会社に報告しなかった過重労働からの心身の疲労
・「他での稼ぎがお前の給料になっている」と言った、社長への不信感
・東京への異動、そこで待っている過度に重い責任のある仕事、
 その仕事を異動先の上司のもとで行う不安と不信感

この仕事をしながら、親の傍にいられること、それだけが願いだったのです。
しかし、この願いは、会社の都合(もちろん自分自身の実力不足)で叶うことはないと、
この時ようやく知ったのです。

もしかしたら、これくらいの悩みを抱えながらも立派に生きている人だっているのでしょうが、
ボクには無理でした。

次の日、出勤はしましたが、耐えられなくなり、
しばらく休みたい、ワンルームを引き払い実家に帰りたいと願い出て帰宅し、
翌日すぐに実家に帰りました。

感情という感情が全てなくなっていました。
何を見ても、聞いても、何もボクの中には入ってきませんでした。

これが、ボクが壊れた時の状態です。

これまでにも、うつの兆候は出てきていますし、その原因もその都度で違ったものです。
心の奥底に沈殿していった不安の原因は、上述のものだけではないのです。
重症になるまでの過程や原因は、また後日書くとします。
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