春待燈(はるまちあかり) ~ 美保関燈台(島根県松江市美保関町)・禄剛崎灯台(石川県珠洲市狼煙町) [街小説]
~今シーズン一番とも言える寒さとなったこの日、必ずやってくる、春の恵みを想いながら~
エンジンを止めヘルメットを脱ぐと、湿気を微かに含んだ潮の香りに包まれた。
静寂の中に、波の音が聞こえる。また来ることができた、という実感とともに、青い空を見上げながら深く息を吐いた。
カスタマーセンター二部のリーダーとなって半年。
クレーム対応はただでさえストレスが溜まるもの。加えて、部下の指導、管理も行わねばならないとなると、余裕なんてありもしない。
ずる賢かったり、無責任だったり、人の話を全然聞かなかったり・・・早々に見切りをつけた同僚や後輩が次々辞めていくことには、何とも思わない。
ただ、気の小さい、けれど一生懸命に対応をしていたあの子が辞めてしまったのは、残念というより、悲しくなった。
悪名高きクレーマーが原因だ。「頑張れ」なんて言葉だけじゃ、引き留められるわけないな。
日が暮れるといつも、駐輪場の片隅で空を見上げて深く溜息をついていたのを、私は知っていたよ・・・
「先輩、ごめんなさい・・・私、辞めます・・・」
部下の面倒が見れないくらいに、私、ギリギリになってしまっていたのかな。
島根半島の東端。この灯台に行く道程は、ことのほか海風が強い。
春になりたての風は、まだ肌寒く、後ろでまとめた髪でさえ荒れ放題にさせるほど、時に激しい。
霞んだ空に紛れ込みそうな、白亜の灯台は、近づくほどにその小ささを実感させる。
「今日はさすがに見えないなぁ・・・。」
空が澄んでいれば、日本海の向こうに島前の島々を見ることができるのだが。
灯台の真下で煉瓦造りの壁の上から覗き込むと、遠くで2隻のタンカーがすれ違い、小さな釣り船がのんびりと、波打つ濃緑の水面を漂っていた。
私は両腕を空に伸ばして深く息を吸い、垂れ込めた雲を吹き飛ばす勢いで、空に向かって大声を上げた。
「ワーッ!!」
ふと、展望台の親子と目が合ってしまった。
なんともバツが悪い。そそくさとちょっと向こうのほうへ逃げた。
灯台の周りをぐるっと一周したあと、もう一度見上げてみた。
こんなに小さな姿でも、夜になれば太陽ほどの眩しい光を放ち、水平線の遥か遠くで働く男達の道標となるのだ。
「あぁ、やっぱり、おばあちゃんの灯台にそっくりだ」
幼い頃の儚げな記憶が、鮮やかに蘇った。
父方の故郷は、能登半島の北端、珠洲の狼煙という漁師町。
そこには、禄剛崎灯台という、この灯台にとてもよく似た灯台がある。
漁師だった祖父を、祖母は港から二筋奥にある平屋建ての家で、破れた網を縫い直しながら、何日も何年も、何十年も、漁があるたび、祖父の無事の帰りを待っていた。
私がその町に行けるのは、お盆や正月の父の里帰りの時だけだった。その時でさえも、漁の具合で祖父がいないこともしばしばあった。
そんな時、私は祖母の後ろに、割烹着の左端を掴みながら、いつもくっついて離れなかった。
祖母は、私をよくお散歩に連れて行ってくれた。
長い坂、石の階段を上ってたどり着く灯台は、特にお気に入りの場所だった。
移ろう四季ごとに咲く野花が海風に揺れる、眺めのいい場所。道すがら花を摘みながら振り返る私に、祖母はいつも微笑んでくれた。
灯台の少し外れにある丘に座り、漁港を眼下に眺めながら、祖母はよくお話をしてくれた。
狼煙に伝わる昔話、父の小さい頃の話、そしてどんなお魚が獲れるとか。
無口な祖父のことを聞いたことも何度かあったが、祖母はいつでも空のほうを見上げて、
「あの人は、いい人よ」
とだけ答えた。
「ふーん」
私はいつもそう返事していた。
祖父に持つ自分自身のイメージが変化することがないことの、一種のつまらなさから出る一言。
そんな私を、祖母はやはり、いつものように微笑んで見つめていた。
灯台の端に建つレストランで、ほんのり磯の香りがするカレーを食べながら、私は日本海に立つ白波を、音を想像しながら見ていた。
海は、恵みの地であるとともに、厳しい地でもある。
私が中学生になった頃の里からの帰り道、私は父に、祖父や祖母のことを聞いてみた。
正確に言えば、毎年のように、帰りの車の中で、私は同じ質問をしていたのだが、父の返事は決まって
「おばあちゃんは苦労し通しだったよ。だから父さんは漁師には絶対にならないと思った」
だった。
その日はいつもと違った。話しても理解できる年頃になったということだったのだろうか。
祖父と祖母との間には、祖父が無事に帰ってきたことを知らせる、二人だけの合図があった。
漁船のランプを、祖母にしか分からない間隔、タイミングで点滅させる。
漁師なのに無口でおとなしい、祖父らしいやり方なのである。
季節によって、二~三日漁に出ずっぱりのこともあり、それでも戻る予定のある時間になると、祖母は漁師の女房仲間と、港の近くで帰りを待っていた。
ランプが光ると、ことのほか祖母は喜んで、祖父が船から降りてくるのを、港まで出てきて出迎えたそうだ。
雨の日も、雪の日も。
ある、春が来たばかりの、それでも冬のような寒い日。
いつものように祖父は早朝から漁に出かけた。
その日の漁は日帰りの予定だったが、午後になってすぐの頃、春の雷鳴が鳴り、風が急に強く吹き荒び始めた。
高波には強いはずの船であった。
それでも、祖母は不安で仕方なかったのだろう。他の女房仲間と一緒に、気を紛らすように、いつもよりたくさん、陽気にしゃべっていた。
そして、戻ってくるはずの時間になり、港に祖母は立っていた。
私の旦那が帰ってこない。
ふっ、と祖母の心がざわついた。
祖母の足は、遠くまで見える灯台の丘へと急いでいた。
冷雨のそぼ降る中、祖母はいつまでも、待っていた。
灯台に光が灯って暫くだろうか、低く垂れ込める黒い雨雲の隙間から、祖父の合図が、確かに見えた。
「パパッ、パッ、パッ、パパッ、パッ」
祖母は、覚えていないくらいに、頬を濡らしながら、急いで港へと駆けて行った。
船から降りた祖父は、いつものように素っ気ない。
けれども、その日、彼女の愛する旦那は、愛妻の寄り添う肩をそっと抱き寄せながら、家路についた。
灯台のそばにある小さな公園で、薄紅色の桜に霞んだ青空、そして白い灯台のコントラストに見とれていると、彼女から電話が偶然かかってきた。
「亜祐子先輩、河合です! お久しぶりです! お元気ですか?」
「裕未ちゃん! 元気よー、私は。裕未ちゃんこそ、元気にしてたの?」
「はい! 無事仕事、見つかりました。新しい仕事も、楽しいですよ」
『も』という言葉が、嬉しかった。
うん、裕未ちゃん、そうだね。本当は、私、元気じゃないんだ。
自分を無理矢理奮い立たせるために原色にした、ワンルームの中で引き籠っているなんて、痛々し過ぎるよ。
今の生き方をすぐに変えられないんだったら、せめて、自慢のTiger 1050を相棒に、知らない町へもっと出かけてみようかな。
何かを見つけに、まだ気付いていない自分自身を見つけに行こう。
うん、そう思った。
そうだ、仕事にも乗っていこうかな。
風を切って、心のもやもやも、切り裂いて突っ走るように。
風に煽られた桜色が、電話を切ったその瞬間、ふと笑顔になった私を包んだ。
完
美保関燈台(みほのせきとうだい)
1898年建造の、山陰最古の石造灯台。
世界灯台100選、および日本灯台50選に選ばれている日本の5灯台のうちの一つ。
歴史的文化的価値の高さから、灯台として最初の登録有形文化財に指定された。
また、近代化産業遺産にも選定されている。
小さな灯台だが、日本海に面する場所としては、非常に明るさを感じる場所。
日本の灯台では数少ない、内部公開(有料)されている灯台の一つであり、
一番上に上って、日本海の潮風をたっぷりと浴びることができる。
画像のように、桜の淡い紅色が映える、春が最も美しい場所であると、個人的には思っている。
レストランも「美保関灯台ビュッフェ」の名で実在。
ちなみに、出雲日御碕燈台も世界灯台100選の一つであり、島根県内から2つも選ばれている。
(Wikipediaより一部引用)
【情報】
美保関燈台
島根県松江市美保関町美保関字大平
出雲・松江方面、また米子方面のいずれからも、
国道431号線経由で県道2号線に入り、終点までひたすら走ると、無料駐車場に到着。
駐車場から灯台までは、徒歩で10分以内。
------------------------------------------
禄剛崎燈台(ろっこうさきとうだい)
1883年建造の、能登半島の最先端に位置する石造灯台。
日本灯台50選に選ばれている灯台の一つ。
能登半島国定公園内に存在し、野の花、断崖絶壁等、絶景が広がる、美しい場所だ。
普段は無人のため一般公開されていないが、年に数回は一般公開されている。
本当に、美保関燈台と似ているなー、と、
同作の主人公と同様、訪れた際に眼前に建つ姿を見て思ったことを、
つい最近のように、今でも覚えている。
(Wikipediaより一部引用)
この灯台の近くには、温泉、旅館も存在するので、ゆっくりと散策するのも、いい。
また、少し遠いが、珠洲市中心部にある、旧のと鉄道の旧珠洲駅の風情も、
一畑電車の雲州平田駅ととても似ており、
自分の住む街と、こんなに空気感も何もかも似ている街が、
こんな遠くにもあるんだな、と感動し、ほっとする街の雰囲気だったこともまた、
いい旅の想い出である。
【情報】
禄剛崎燈台
石川県珠洲市狼煙町イ-51
国道249号線経由で県道28号線に入り、
「狼煙」、「禄剛崎」方面へ走ると、無料駐車場に到着。
灯台へは、そこから徒歩で約10分弱、丘を登っていくと到着。
エンジンを止めヘルメットを脱ぐと、湿気を微かに含んだ潮の香りに包まれた。
静寂の中に、波の音が聞こえる。また来ることができた、という実感とともに、青い空を見上げながら深く息を吐いた。
カスタマーセンター二部のリーダーとなって半年。
クレーム対応はただでさえストレスが溜まるもの。加えて、部下の指導、管理も行わねばならないとなると、余裕なんてありもしない。
ずる賢かったり、無責任だったり、人の話を全然聞かなかったり・・・早々に見切りをつけた同僚や後輩が次々辞めていくことには、何とも思わない。
ただ、気の小さい、けれど一生懸命に対応をしていたあの子が辞めてしまったのは、残念というより、悲しくなった。
悪名高きクレーマーが原因だ。「頑張れ」なんて言葉だけじゃ、引き留められるわけないな。
日が暮れるといつも、駐輪場の片隅で空を見上げて深く溜息をついていたのを、私は知っていたよ・・・
「先輩、ごめんなさい・・・私、辞めます・・・」
部下の面倒が見れないくらいに、私、ギリギリになってしまっていたのかな。
島根半島の東端。この灯台に行く道程は、ことのほか海風が強い。
春になりたての風は、まだ肌寒く、後ろでまとめた髪でさえ荒れ放題にさせるほど、時に激しい。
霞んだ空に紛れ込みそうな、白亜の灯台は、近づくほどにその小ささを実感させる。
「今日はさすがに見えないなぁ・・・。」
空が澄んでいれば、日本海の向こうに島前の島々を見ることができるのだが。
灯台の真下で煉瓦造りの壁の上から覗き込むと、遠くで2隻のタンカーがすれ違い、小さな釣り船がのんびりと、波打つ濃緑の水面を漂っていた。
私は両腕を空に伸ばして深く息を吸い、垂れ込めた雲を吹き飛ばす勢いで、空に向かって大声を上げた。
「ワーッ!!」
ふと、展望台の親子と目が合ってしまった。
なんともバツが悪い。そそくさとちょっと向こうのほうへ逃げた。
灯台の周りをぐるっと一周したあと、もう一度見上げてみた。
こんなに小さな姿でも、夜になれば太陽ほどの眩しい光を放ち、水平線の遥か遠くで働く男達の道標となるのだ。
「あぁ、やっぱり、おばあちゃんの灯台にそっくりだ」
幼い頃の儚げな記憶が、鮮やかに蘇った。
父方の故郷は、能登半島の北端、珠洲の狼煙という漁師町。
そこには、禄剛崎灯台という、この灯台にとてもよく似た灯台がある。
漁師だった祖父を、祖母は港から二筋奥にある平屋建ての家で、破れた網を縫い直しながら、何日も何年も、何十年も、漁があるたび、祖父の無事の帰りを待っていた。
私がその町に行けるのは、お盆や正月の父の里帰りの時だけだった。その時でさえも、漁の具合で祖父がいないこともしばしばあった。
そんな時、私は祖母の後ろに、割烹着の左端を掴みながら、いつもくっついて離れなかった。
祖母は、私をよくお散歩に連れて行ってくれた。
長い坂、石の階段を上ってたどり着く灯台は、特にお気に入りの場所だった。
移ろう四季ごとに咲く野花が海風に揺れる、眺めのいい場所。道すがら花を摘みながら振り返る私に、祖母はいつも微笑んでくれた。
灯台の少し外れにある丘に座り、漁港を眼下に眺めながら、祖母はよくお話をしてくれた。
狼煙に伝わる昔話、父の小さい頃の話、そしてどんなお魚が獲れるとか。
無口な祖父のことを聞いたことも何度かあったが、祖母はいつでも空のほうを見上げて、
「あの人は、いい人よ」
とだけ答えた。
「ふーん」
私はいつもそう返事していた。
祖父に持つ自分自身のイメージが変化することがないことの、一種のつまらなさから出る一言。
そんな私を、祖母はやはり、いつものように微笑んで見つめていた。
灯台の端に建つレストランで、ほんのり磯の香りがするカレーを食べながら、私は日本海に立つ白波を、音を想像しながら見ていた。
海は、恵みの地であるとともに、厳しい地でもある。
私が中学生になった頃の里からの帰り道、私は父に、祖父や祖母のことを聞いてみた。
正確に言えば、毎年のように、帰りの車の中で、私は同じ質問をしていたのだが、父の返事は決まって
「おばあちゃんは苦労し通しだったよ。だから父さんは漁師には絶対にならないと思った」
だった。
その日はいつもと違った。話しても理解できる年頃になったということだったのだろうか。
祖父と祖母との間には、祖父が無事に帰ってきたことを知らせる、二人だけの合図があった。
漁船のランプを、祖母にしか分からない間隔、タイミングで点滅させる。
漁師なのに無口でおとなしい、祖父らしいやり方なのである。
季節によって、二~三日漁に出ずっぱりのこともあり、それでも戻る予定のある時間になると、祖母は漁師の女房仲間と、港の近くで帰りを待っていた。
ランプが光ると、ことのほか祖母は喜んで、祖父が船から降りてくるのを、港まで出てきて出迎えたそうだ。
雨の日も、雪の日も。
ある、春が来たばかりの、それでも冬のような寒い日。
いつものように祖父は早朝から漁に出かけた。
その日の漁は日帰りの予定だったが、午後になってすぐの頃、春の雷鳴が鳴り、風が急に強く吹き荒び始めた。
高波には強いはずの船であった。
それでも、祖母は不安で仕方なかったのだろう。他の女房仲間と一緒に、気を紛らすように、いつもよりたくさん、陽気にしゃべっていた。
そして、戻ってくるはずの時間になり、港に祖母は立っていた。
私の旦那が帰ってこない。
ふっ、と祖母の心がざわついた。
祖母の足は、遠くまで見える灯台の丘へと急いでいた。
冷雨のそぼ降る中、祖母はいつまでも、待っていた。
灯台に光が灯って暫くだろうか、低く垂れ込める黒い雨雲の隙間から、祖父の合図が、確かに見えた。
「パパッ、パッ、パッ、パパッ、パッ」
祖母は、覚えていないくらいに、頬を濡らしながら、急いで港へと駆けて行った。
船から降りた祖父は、いつものように素っ気ない。
けれども、その日、彼女の愛する旦那は、愛妻の寄り添う肩をそっと抱き寄せながら、家路についた。
灯台のそばにある小さな公園で、薄紅色の桜に霞んだ青空、そして白い灯台のコントラストに見とれていると、彼女から電話が偶然かかってきた。
「亜祐子先輩、河合です! お久しぶりです! お元気ですか?」
「裕未ちゃん! 元気よー、私は。裕未ちゃんこそ、元気にしてたの?」
「はい! 無事仕事、見つかりました。新しい仕事も、楽しいですよ」
『も』という言葉が、嬉しかった。
うん、裕未ちゃん、そうだね。本当は、私、元気じゃないんだ。
自分を無理矢理奮い立たせるために原色にした、ワンルームの中で引き籠っているなんて、痛々し過ぎるよ。
今の生き方をすぐに変えられないんだったら、せめて、自慢のTiger 1050を相棒に、知らない町へもっと出かけてみようかな。
何かを見つけに、まだ気付いていない自分自身を見つけに行こう。
うん、そう思った。
そうだ、仕事にも乗っていこうかな。
風を切って、心のもやもやも、切り裂いて突っ走るように。
風に煽られた桜色が、電話を切ったその瞬間、ふと笑顔になった私を包んだ。
完
美保関燈台(みほのせきとうだい)
1898年建造の、山陰最古の石造灯台。
世界灯台100選、および日本灯台50選に選ばれている日本の5灯台のうちの一つ。
歴史的文化的価値の高さから、灯台として最初の登録有形文化財に指定された。
また、近代化産業遺産にも選定されている。
小さな灯台だが、日本海に面する場所としては、非常に明るさを感じる場所。
日本の灯台では数少ない、内部公開(有料)されている灯台の一つであり、
一番上に上って、日本海の潮風をたっぷりと浴びることができる。
画像のように、桜の淡い紅色が映える、春が最も美しい場所であると、個人的には思っている。
レストランも「美保関灯台ビュッフェ」の名で実在。
ちなみに、出雲日御碕燈台も世界灯台100選の一つであり、島根県内から2つも選ばれている。
(Wikipediaより一部引用)
【情報】
美保関燈台
島根県松江市美保関町美保関字大平
出雲・松江方面、また米子方面のいずれからも、
国道431号線経由で県道2号線に入り、終点までひたすら走ると、無料駐車場に到着。
駐車場から灯台までは、徒歩で10分以内。
------------------------------------------
禄剛崎燈台(ろっこうさきとうだい)
1883年建造の、能登半島の最先端に位置する石造灯台。
日本灯台50選に選ばれている灯台の一つ。
能登半島国定公園内に存在し、野の花、断崖絶壁等、絶景が広がる、美しい場所だ。
普段は無人のため一般公開されていないが、年に数回は一般公開されている。
本当に、美保関燈台と似ているなー、と、
同作の主人公と同様、訪れた際に眼前に建つ姿を見て思ったことを、
つい最近のように、今でも覚えている。
(Wikipediaより一部引用)
この灯台の近くには、温泉、旅館も存在するので、ゆっくりと散策するのも、いい。
また、少し遠いが、珠洲市中心部にある、旧のと鉄道の旧珠洲駅の風情も、
一畑電車の雲州平田駅ととても似ており、
自分の住む街と、こんなに空気感も何もかも似ている街が、
こんな遠くにもあるんだな、と感動し、ほっとする街の雰囲気だったこともまた、
いい旅の想い出である。
【情報】
禄剛崎燈台
石川県珠洲市狼煙町イ-51
国道249号線経由で県道28号線に入り、
「狼煙」、「禄剛崎」方面へ走ると、無料駐車場に到着。
灯台へは、そこから徒歩で約10分弱、丘を登っていくと到着。
こんばんは。
能登・・・私の母方は越後で、近いですね。
さまざまな活路があることに、感慨深いものを感じます(^-^)
by はせお (2013-12-27 23:54)
「はせお」さん、読んでいただいて、本当にありがとうございます。
残念ながら、越後は金沢・能登旅行の列車で通過しただけで、
春なのに寒い場所だなーといった印象があるだけなんですが、
広い大地を何日もかけて、いつか旅行したい場所でもあります。
風土も人も食べ物も似て非なるところがあって、
もしかしたら山陰とも似たところが見つかるかも知れない、
いい場所なんでしょうね。
ちなみに、東京で一緒に仕事をしていた新潟の方は、
とても純朴ないい人で、大好きでした。
人には、それぞれの場所で、
いいことも、悪いことも、それぞれ経験しながら、、
それぞれのベストな生き方をいつも探しながら、
きっと見つけて生きていくんだと、ボクは信じています。
by はらぼー (2013-12-28 00:54)
能登半島 良いですね~
行ったことがないので
来年でも計画したいと思ってます
by (。・_・。)2k (2013-12-28 02:43)
「(。・_・。)2k」さん、是非とも訪れてみてください!
素朴で、いい街ですよ。
輪島塗の凄さにはビビりましたが、
海岸沿いの千畳田も、キリコ祭り資料館も圧巻ですよ。
冬は厳しいですが、夏頃の千畳田、素敵な光景です。
地味ではありますが、風情はたっぷりそこにはありあす。
金沢の美味しい料理も、是非味わってみてください、
加賀百万石の文化も、独特の華やかさで、美しいですし、
美術館もたくさんありますから、見どころ満載ですよ(^~)
by はらぼー (2013-12-28 02:59)
運転にはくれぐれもお気を付けください。
by cocoa051 (2013-12-28 15:15)
「cocoa051」さん、お気遣い本当にありがとうございます。
今朝はえらい雪でしたが、
日中には太陽も覗き、
路面は轍以外にみぞれが残る程度になりました。
明日の朝のほうが、凍結して大変かも知れません(^^;;
by はらぼー (2013-12-28 16:03)