ニュースを見てふと思ったこと ~事件の被害者報道について~ [ニュース]
今朝も岩手で起こった中学生の自殺事件についてのニュースが流れた。
そこで改めて気になった。
「なぜ被害者の写真は公開するのか?」
川崎で起こった中学生の殺人事件でも言えるし、
確か20年以上前の、神戸での少年による連続殺傷事件でもそうだったはず。
被害者である少年少女の写真を報道で使用するのは、
人権侵害に当たらないのだろうか。
親族の方や友人たちの心情を理解してやっていることなのだろうか。
現代のネット社会では、その写真は誹謗中傷にも使われかねない。
加害者の写真を未成年だからと言って報道しないことと同じくらいに
慎重に扱わなければならないのではないだろうか。
マスコミの意図も報道規制のルールも、ボクにはいまいち分からない。
生前の笑顔の写真を映し出すことで、
「可愛そうに」「ひどい」という視聴者の心情を掻き立てたいのだろうか。
確かにボクは見る度に、行き場のない悲しみと、加害者への怒りしか込み上げない。
でもその報道手法は、本当に必要なやり方なのだろうか。
もちろん加害者を擁護するつもりは毛頭ない。
直接的にしても間接的にしても、人の命を奪った罪は、絶対に償うべきだ。
被害に遭った彼ら以上の苦しみを、一生背負うべきだと思っている。
ただ、どうもこの顔写真については、違和感が拭えないのだ。
「こんな残虐な事件は起こしてはならない」と訴えたいのだろうか。
それは確かに伝わるのだけれど、ワイドショー的な野次馬視点の報道にしか見えないことがある。
具体的にすればするほど、模倣犯が増えるという可能性は、ないのだろうか。
事件を取り上げることで、自治体や各団体が本腰を挙げて問題に取り組むという意味では、
事件の詳細を伝える意義は、確かに存在すると感じている。
ただそこに、被害者の写真は必要なのか?
顔写真がなくても伝わることではないのか?
これだ、という確信に満ちた解決策が、ボクの頭にある訳ではない。
報道をする人たちの考え方は、もっと深くにあるのかも知れない。
でも、ボクのこんな疑問は、別に持っていていいことだと思う。
見る人それぞれが感じるままの思いを持てばいいことだから。
そしてここの意見は、
単純に「お涙ちょうだい」的な意図が見え隠れする報道に、違和感を覚えただけのことだから。
そこで改めて気になった。
「なぜ被害者の写真は公開するのか?」
川崎で起こった中学生の殺人事件でも言えるし、
確か20年以上前の、神戸での少年による連続殺傷事件でもそうだったはず。
被害者である少年少女の写真を報道で使用するのは、
人権侵害に当たらないのだろうか。
親族の方や友人たちの心情を理解してやっていることなのだろうか。
現代のネット社会では、その写真は誹謗中傷にも使われかねない。
加害者の写真を未成年だからと言って報道しないことと同じくらいに
慎重に扱わなければならないのではないだろうか。
マスコミの意図も報道規制のルールも、ボクにはいまいち分からない。
生前の笑顔の写真を映し出すことで、
「可愛そうに」「ひどい」という視聴者の心情を掻き立てたいのだろうか。
確かにボクは見る度に、行き場のない悲しみと、加害者への怒りしか込み上げない。
でもその報道手法は、本当に必要なやり方なのだろうか。
もちろん加害者を擁護するつもりは毛頭ない。
直接的にしても間接的にしても、人の命を奪った罪は、絶対に償うべきだ。
被害に遭った彼ら以上の苦しみを、一生背負うべきだと思っている。
ただ、どうもこの顔写真については、違和感が拭えないのだ。
「こんな残虐な事件は起こしてはならない」と訴えたいのだろうか。
それは確かに伝わるのだけれど、ワイドショー的な野次馬視点の報道にしか見えないことがある。
具体的にすればするほど、模倣犯が増えるという可能性は、ないのだろうか。
事件を取り上げることで、自治体や各団体が本腰を挙げて問題に取り組むという意味では、
事件の詳細を伝える意義は、確かに存在すると感じている。
ただそこに、被害者の写真は必要なのか?
顔写真がなくても伝わることではないのか?
これだ、という確信に満ちた解決策が、ボクの頭にある訳ではない。
報道をする人たちの考え方は、もっと深くにあるのかも知れない。
でも、ボクのこんな疑問は、別に持っていていいことだと思う。
見る人それぞれが感じるままの思いを持てばいいことだから。
そしてここの意見は、
単純に「お涙ちょうだい」的な意図が見え隠れする報道に、違和感を覚えただけのことだから。
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